ゴースト・ダンス・ダンス・ダンスの世界
◆01 日本の歴史、幽霊の歴史
日本は、世界でも稀に見る幽霊出没地帯でした。
それゆえに古より悪霊退治は時の権力者の義務でしたが、火も剣もお祈りも悪霊には効きません。
そこで先人たちは、目には目を、歯に歯を、幽霊には幽霊を、ということで、過去の偉人たちの霊《祭主》と契約を取り交わしました。そして、その力を借り受けた霊能者《祀徒》となり、悪霊を退治することにしたのです。
いるかもしれないと想像するだけで怖い幽霊が、本当に実在するとなれば、国家規模のパニックが起きる可能性がありました。
そのため、権力者と霊能者の手によって幽霊の存在は隠されてきました。彼らの人知れぬ戦いによって、幽霊の存在が表に出てくるのは怪談や都市伝説の類くらいになったはずでした。
――あの『大“霊”災』が起きるまでは。
◆02 大“霊”災
2008年夏、それは起こりました。地獄、霊界、黄泉、冥府、呼び名はなんであれ、“あちら側”から、我々の世界に膨大な霊力が解き放たれ、未曾有の大惨事を引き起こしたのです。
それが「大霊災」。日本を襲った、空前の幽霊災害です。
しかも、大霊災後も、いつもの日常は戻ってきませんでした。
不吉な心霊現象が至るところで発生し、場所によっては昼間から亡者・悪霊の類が歩きまわっています。被害が大きな地域などは魑魅魍魎のはびこる魔界になり果てているという話です。
霊災は、まだ続いているのかもしれません。
◆03 この国の希望は、霊と霊能者
数少ない希望は、
《祀徒》たちは、超人的な力や異能をふるうことで、生身の人間でありながら、悪霊を退治することができる極めて限られた存在です。
また、《祭主》たちの中には、《祀徒》に力を与えるだけでなく、自ら悪霊退治をする者もいるようです。
両者が力をあわせれば、日本を蝕む悪霊どもをすべて“あちら側”へ送りかえすのも夢ではないでしょう。
◆04 霊災後の日本はどうなったのか?
大いなる災厄に、日本は持ちこたえ――立ち直りつつあります。
災害時にも暴動や略奪は起こらず、諸外国から驚きと賞賛の声がよせられました。
地域差はきわめて激しいですが、蛇口をひねれば水が出ますし、電話をかければ通じます。
水のかわりに濡れ髪が出てきたり、不気味なうめき声の電波障害が起きたりもしますが。
都市部などでは、おおむね災害以前の生活ができています。
一方で、幽霊の多発する地域では、今でも避難生活が続いています。より危険な地域は立ち入ることも困難で、今も大勢の人が取り残されています。
交通網がそのような危険地帯に寸断されているため、国内での移動はいろいろと面倒です。しかし、海外への旅行や貿易に今のところ問題はありません。
◆05 幽霊のいる生活
霊災後の日本で、幽霊は身近な存在となりました。
慣れというのは恐ろしいもので――それこそ幽霊より恐ろしいもので――ふつうの人々も数々の心霊現象に平然と対応をはじめました。
家のまわりに人魂が浮かんでいるとか、ポルターガイストで花瓶が割れたとか、そういう時、人々は《祀徒》に助けを求めます。
《祀徒》は国に認可された公式の霊能者です。霊災以前のインチキ霊能者はお払い箱となりました。
《祭主》のような例外を除けば、ほとんどの幽霊に意志はありませんし、話も通じませんし、空気も読みません。
今のところ幽霊は《祀徒》に退治してもらうしかありません。
◆06 《祭主》 の立場、《祀徒》 の立場
一般人は《祭主》と《祀徒》を『幽霊退治の専門家』として見ています。
なにしろ彼らがいないと生活がなりたたないのですから、一部では英雄視する人々さえいます。
歴史上の偉人である《祭主》の中には、会社経営、アイドル活動、政界進出など、華々しい表舞台に出ていく者もいます。
しかし、肝心の《祭主》たちは必ずしも英雄とは限りません。彼らとて人間です。いや、人間でした。
黄泉帰った《祭主》たちは、第二の人生に望むものがあります。夢、野望、目的、あるいは“未練”と呼ぶべきものを。
愛、信仰、自由、救世、平和、征服、名誉、そして、富。
《祭主》もボランティアで幽霊退治をしているわけではないのです。
多くの《祀徒》と契約し、多くの幽霊を狩り、その霊力を集めることが目的達成の近道だと知っているからなのです。
ですから《祀徒》の仕事は幽霊退治だけではありません。
ともすれば、暴走しがちな《祭主》たちを時にはなだめ、時にははげまし、時には助言し、彼らの“未練”を晴らしてあげなければならないのです。
◆07 そもそも『幽霊』とは何なのか?
この世界には『霊力』と称される霊的なエネルギーが存在します。そうした霊力に魂が融合したのが幽霊です。
幽霊は大きく《祭主》と
《祭主》の魂には、崇拝の念や強い遺志が含まれているので、自我を保ち続けることができます。
ただし、後世の人間の伝説じみた過度な崇拝に誤解や偏見の念をも取り込んだ結果、厳格な歴史学者が会ったら憤死しかねないほど奇抜な《祭主》と化してしまうケースも多いようです。
一方、名もなき人々の魂や残留思念が幽霊となったものを《雑霊》と呼びます。
《雑霊》は無数の“未練”が入り混じる、雑念のような無秩序な存在です。
そのため《雑霊》は自我を持たず、自分が何を望み、何を欲し、何を求めていたのか思い出せません。
ただ、何かを失ったことだけは覚えており、それを求めて――生者を襲うのです。
この哀れな亡者たちを救えるのは《祭主》の力を借りた《祀徒》だけであり、彼らから人間を守れるのも《祀徒》だけです。
◆08 《雑霊》 、《災主》 、そして《奸徒》
自我を持たない《雑霊》たちは、多くの場合、破壊衝動に駆られるままただひたすら暴れ続けるだけです。
しかし、中には統一された自我を持ちながら、悪事を働く強力な幽霊もいます。
それが
本質的には《災主》と《祭主》に違いはありません。悪事を働く人間が悪人と呼ばれるように、災いをもたらす《祭主》は《災主》と呼ばれています。
あなたがどんなに力を求めていたとしても、《災主》と契約するのだけはやめておいた方がいいでしょう。
彼らの魂はこの世で犯した悪行によって穢れています。
穢れた魂と契約を結べば、《祀徒》自身の魂も穢れることになり、やがては魂が肉体から出て行ってしまうのです。――要するに死にます。しかも自我のない《雑霊》と化して。
もっとも、そうなるわずかな間に、《災主》から授かった力で悪逆の限りを尽くす人間もいます。また、《災主》ではなく《祭主》と契約しているにも関わらず、悪事を働く者もいます。
そうした人間たちは《祀徒》と区別して、
悪事を行うことにより、《奸徒》の魂はどんどんと穢れていきます。放っておいても《奸徒》はいずれ死ぬでしょう。ですが、それまでにどれだけの犠牲が出るかわかったものではありません。
あなたが《祀徒》として働くなら、《雑霊》のみならず、《災主》や《奸徒》とも戦わなければならないかもしれません。