魂の疲労と穢れ
◆魂の“疲労”
《霊器》や《霊験》は、無制限に使えるわけではありません。使用することにより、「魂」が疲労します。
人間である《祀徒》の場合、魂の疲労はそのまま肉体の疲労として現れます。そして肉体の疲労が著しくなると、《祀徒》は《霊器》や《霊験》を使えなくなってしまいます。
幽霊である《祭主》は、肉体の疲労とは無縁です。その代わり、魂が疲労すると、実体を維持するのが難しくなります。幽霊は実体化している時の方が、振るう力が強くなります。つまり、魂が疲労することにより、《祭主》の振るう力は弱体化するということです。
こうした魂の疲労は、休息を取ることによって自然に回復します。《祀徒》だけでなく幽霊である《祭主》にも、時には休息が必要になる、というわけです。
魂が疲労する行動には、「《霊器》の具現化」「《霊器》の使用」「《霊験》の使用」等があります。
◆魂の“穢れ”
ときに魂は、“穢れ”ることがあります。
《祀徒》の場合、穢れた魂は肉体との拒絶反応を起こします。魂の穢れが酷くなると、ついには魂は肉体から飛び出し、《雑霊》と化してしまいます。そして魂を失った肉体は、生命活動を停止してしまうのです。この状態を、今作では「ロスト」として扱います。
ただし、生ける者の持つ魂には、自浄作用が備わっています。魂は霊力を消費することで、穢れを浄化することができるのです。しかし、このとき消費された霊力は返ってきません。「ロスト」するほどではないにせよ、魂に穢れがたまってしまった場合、《祀徒》の霊力は自浄作用によって減少することがあります。
《祭主》の場合、魂が穢れることにより、負の感情に囚われやすくなります。《祀徒》と違い、《祭主》の魂に自浄作用は備わっていません。このため、魂が穢れても霊力が減少することはありませんが、魂は穢れる一方となります。魂の穢れが蓄積すれば、元は善良だった《祭主》でも、いずれ残忍で凶暴な衝動に囚われた《災主》と化すでしょう。
どういった行動を取ると魂が穢れるのかは、明確にわかっていません。ただ、非人道的な行為や反社会的な行動は、魂に穢れを生むようです。逆に、聖人的な行動は魂を浄めることがある、という噂もありますが、その真偽は定かではありません。